下戸は死語になり得ないのか

「自分下戸なので…」

大人数での飲み会。「とりあえずビール!」という言葉が飛び交う中、私は小さく「烏龍茶」と呟いた。

その瞬間、だ。

周りの人々が一にこちらを見る。

「車なの?」「飲めないの?」

それはまるで何かとんでもないカミングアウトをしたような、

犯罪の罪を告白したかのような空気が私を襲う。

「自分下戸なので」

さっきまで和気藹々と語らいあっていた仲間と、心の距離が感じる瞬間である。

「そうなんだ、意外だね」

私にとっては「いつもの感じ」がその場に漂っていた…


なぜ下戸は肩身が狭いのか

お酒が苦手な方には共感していただけるであろうこんなシーン。

「下戸」という言葉がけして良い意味ではないということを、私たちは潜在意識で感じているのではないかと思います。

では、「下戸」という言葉の由来はどこからきたのでしょうか?

その起源はなんと1300年前以上、7世紀まで遡ります。(諸説あります)

大宝律令という言葉は一般的にも耳馴染みがあるのではないかと思います。

「土地と人民は王の支配に服属する」という基本理念の基、

主に東アジアを中心に拡まっていた国家の統治方法の一種です。

律令制の社会では、子供の数によって身分が定められており、

「大戸」「上戸」「中戸」「下戸」の四等級に区分されます。

婚礼の際の振る舞い酒の量もこれにより区分されていたことから、

下戸=お酒が飲めない人のことを指すようになったと言われています。

下戸の反対の意味で、「笑い上戸」という言葉も現在では良く使われていますね。

つまり下戸という言葉は、身分の低いもの、自分よりも位が下のものを指す言葉であり、

「自分下戸なので」は、「自分は身分が低いので」と宣言していることと同じ意味になってしまいます。(恐ろしいですね)

悲しいことに、お酒の苦手な人が気不味そうにする振舞うあのシーンはあながち間違ったリアクションでもないと言うことですね…


多様化が叫ばれる令和時代、

下戸の今後はどうあるべきか

社会全体で多様化が叫ばれているこの令和の新時代。

「下戸」という言葉の意味自体がとても時代錯誤だというることがわかります。

果たしてお酒が飲める・飲めないの違いを差別する必要はあるのでしょうか?

飲める人も、飲めない人も、自分に合ったスタイルで暮らして行くこと、そしてそれを周りも尊重するということを、今の時代を生きる新しいスタンダードとして提案します。

「とりあえずビールで!」

「自分はシラファーなので烏龍茶!」

「下戸?何それ?」

もはや下戸とは死語なのです。

令和の時代は乾杯前に余計なツッコミや注目を浴びることもない、そんな日常になっていくことでしょう。

そんな光景が日常になっていくように、これからも応援、宜しくお願いします!




小石川 泰弘

4inc.CEO / FIT INC. COO
平成生まれ。バンドマンの道を諦め、大学卒業と共にPR・広告業界に飛び込む。日頃からお酒の席が多く、飲めないことにコンプレックスを抱いていたが、ある日NYのシラフカルチャーを知り、「シラフであるからこその楽しみ方」を追求したいとshiraferを立ち上げる。お酒は飲めないが、飲み会が好きで人と集まることが好き。「飲む人も飲まない人もみんなが楽しくできる世界」を目指して奮闘中。


-シラフを楽しくするメディア-

shirafer-シラファー-は、お酒の強さに関わらず、誰もが自由なライフスタイルを目指して日々発信しています。 皆様の体験談やご意見・ご感想など、contactよりお気軽にご連絡下さい。 「飲む人も飲まない人も、みんな楽しく」

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